若き日の佐藤忠良氏
この作品は、シベリア抑留後、1948年に帰国した友人、佐藤忠良を描いた作品です黒をバックにした佐藤を、素早いタッチで下のキャンバスが見えるほどに薄塗りの絵の具で描いています。
佐藤忠良(1912-2011)は、宮城県出身で幼い頃北海道夕張に転居、本郷が入学した札幌第二中学(現・札幌西高校)出身。最年長者の本郷をリーダーとして他の創設会員と共に新制作協会の中心メンバーとして、また、戦後日本具象彫刻の第一人者として活躍しました。 終戦の前年1944年に召集された佐藤は、1948年までシベリアに抑留されました。本郷は帰国した佐藤を、品川駅に佐藤の長女を肩車して迎えたというエピソードがあります。帰国した佐藤を本郷は、戦災を免れた自分のアトリエに招き、しばらくの間、使わせていたようです。佐藤は本郷の心づかいを「帰ってきて早く粘土をいじりたいだろうなという優しい気持ちがあったんでしょうね。」と語っています。
本郷とは、佐藤が東京美術学校3年生の頃に出品した国画会で出会ったようです。7歳年上で札幌二中(現札幌西高校)の先輩であった本郷や山内壮夫は、すでに国画会の会員でした。佐藤は、最初の出会いを「大先輩なのでただこちらは緊張して、“気をつけ”しているだけですよ。」と語っています。本郷と佐藤の関係は、日本の彫刻界を牽引していく同士として、友人として深い親交が生涯続きました。
二人の親交は、共同制作のかたちでも残されています。本郷と佐藤、山内壮夫の3人で札幌市の北海道銀行本店新築に伴う壁面レリーフ《大地》(1964年)を制作しました。また、佐藤と同じ新制作彫刻部を創立したときからの友人、舟越保武、柳原義達との4人で釧路市幣舞橋の欄干に4体の女性像を設置した《道東の四季》を制作しています。