わだつみの声
輝くばかりの肉体を持った青年。《わだつみ》像は、学徒出陣により無念の死を遂げた若者の本来のあるべき姿を表現しています。
1948年、戦没学生の手記出版に際してタイトルを公募したところ、京都の藤谷多喜雄は「なげけるか、いかれるか、はたもだせるか、きけ はてしなきわだつみのこえ」の短歌を添えて「はてしなきわだつみ」として応募しました。これに手が加えられて『きけ わだつみのこえ』が書名となりました。この本は、当時ベストセラーとなり、その収益金の一部を当てて制作されたのが《わだつみ》像です。
制作の依頼を受けたのが、このとき44歳の本郷新です。後に本郷は、「私はこの像を作るのに平和への祈りをこめた。反戦、平和の象徴としてこの像をみてもらえればいい」と語っています。
作品は1950年8月に完成、11月には東大構内に建立させる予定でしたが、大学当局の許可が下りませんでした。 行き場を失った《わだつみ》像を受け入れたのが、学生たちの意をくんだ立命館大学総長末川博であり、1953年、同大学構内にこの像を設置しました。
現在は、立命館大学国際平和ミュージアムで見ることができます。
当館庭園の《わだつみ》像は、北大構内に設置するために鋳造されましたが、北大の許可が下りぬまま、本郷の小樽春香山アトリエで仮の除幕式が行われました。1981年、美術館が開館する際に、美術館に寄託されました。