泉の像

「泉の像」は、1959年札幌大通公園西3丁目にニッカウヰスキーの寄贈で設置されました。

この作品は、ニッカウヰスキーの当時の会長竹鶴政孝氏が「大通公園は素晴らしいが、彫刻が無い。何か胸像でも作りたい」という話からスタートします。本郷も何か彫刻を作りたいという思いがありましたが、作るのであればウイスキーと関係の無いものをという条件を出し、竹鶴氏の了解を得て実現することになります。

ヨーロッパの広場などに見られるような、芸術的にも美しい様々な彫刻を本郷はイメージしました。「前からそこに在った、今も在り、明日もそこに在り続ける」という彫刻の永遠性を強く意識した作品です。

本郷は制作にあたり、造形性を重視しました。はじめに天と地を結ぶ三本の縦長の線と円盤を組み合わせた抽象的な造形を考えました。それが、直径の大きな御影石の円盤の中から上下への動きのある形となり、やがて踊り子となります。三人の踊り子は、手の表情や動きを三者三様にすることで、お互いに共鳴しあい調和が生まれています。

本郷は、「踊り子が先にあったのではなく、地下から天空を支え、雲や風と遊ばせたかった。雨や雪を呼びたかった」と語っています。

彫刻家を志したときから、「彫刻は個人の応接間を飾るものではなく、公共的な広場で社会的空間の中で生きるものこそ本当の彫刻のあり方である」と語り、それを目指して歩んできた本郷にとって、全ての思いが初めて実現した記念すべき作品が「泉の像」でした。

 テレビ塔と噴水をバックに立つ《泉の像》は本郷の彫刻の理想の形を追い求めた思いと、それを理解して支援した竹鶴氏の思いを伝えています。