牧歌
昭和30年代、札幌駅は新築され、訪れる観光客が年々増加していました。その頃、殺風景だった駅前を整備して北海道の中心都市にふさわしい美を備えた公園を作る構想が持ち上がりました。時を同じくして、中島公園と大通公園に彫刻を設置する計画が進んでいました。こうした時代背景の中で、駅前にも花壇や植栽だけではなく、都市空間にふさわしいシンボル像としての彫刻を設置することが決まったのです。
これを受けて、鉄道弘済会が主体となって「駅前彫像建設委員会」を設立しました。この委員会には当時の北海道を代表する企業であるホクレン、北洋相互銀行、拓殖銀行、雪印乳業、日本ビールの5社が賛同し、費用を提供する運びとなりました。制作者として選ばれたのは、既に大通公園の彫刻を依頼されていた本郷です。
依頼者側の注文は、これから発展していく札幌の都市美になりうるようなシンボル像であり、更に一目で北海道らしさがわかるような造形でした。本郷は、この意向に沿いつつ、さらに何よりも市民・道民に親しまれる像を目指しました。
最初の案は、現在の像とは大きく異なります。まず、長さ7.3メートル、高さ1.2メートルのゆるい弓なりの台座を想定しました。中央に母子像、その左にギターを奏でる少女、羊を背負う少年、右には腰掛けてフルートを吹く少年と鶏を抱く少女、高低をつけた全部で五人構成の群像を考えました。最初の構想は、必ずしも北海道という地域に限定されない普遍的な造形でした。しかし、依頼者は、より北海道をイメージしやすい彫刻を望んだようです。母子像などの造形は実現しませんでした。
廃案になりましたが、五人のそれぞれの形はその後本郷の制作に少なからず影響を与えています。母子像は、本郷が若い頃からのテーマです。鶏を抱く少女の造形は、2年後の1961年から14点連作した《鳥を抱く女》になりました。
実際に設置された作品は、各人に北海道の名産を持たせた男性と女性の五人の群像でした。名産品を持たせることで、依頼者の意向である北海道らしさを強調しました。
中央には健やかで明るい未来を象徴するように、若い三人の女性が三人立っています。手にはそれぞれポプラの若木、トウモロコシ、スズランを持たせました。
両脇の二人の男性は、高低をつけるために立像と座像で表現しています。腰掛けた男性は角笛を吹き、もう一方は羊を抱いています。群像の後方には壁面を設け、馬・牛・熊・魚(カレイ、サケ)・麦・リンゴのモティーフのレリーフをはめ込みました。
いかにも北海道らしいモティーフです。壁面の下からは赤、青、黄、緑のライトを5秒おきに照らし、作品のライトアップもなされました。当時は珍しかったようで、色のない雪国札幌にアクセントを与え、話題となりました。本郷は、作品の完成度だけではなく、環境との調和を重視しており、作品を取り巻くすべてのデザインを自ら行いました。
札幌の玄関を飾る《牧歌》は、1960年に札幌-手宮間鉄道敷設80周年記念として鉄道記念日の11月28日に雪の降るなか除幕されました。この像は、市民や駅を訪れる人々愛され、時として待ち合わせ場所になり、駅のランドスケープとして永く札幌の顔となったのです。
また、当時は等身大の大きさでの五人の群像であるため駅の中央に設置された大がかりな規模の作品でした。除幕式の新聞記事に、本郷は「公共広場の彫像としては、全国一の大きさではないか」とインタビューに誇らしげに答えています。