氷雪の門

「氷雪の門」は、隣接する「乙女の碑」とともに樺太慰霊碑として稚内公園に1963年8月20日除幕設置されました。

樺太(現在のサハリン)在住の50万人の日本人は、樺太が日本の領土ではなくなった終戦後、樺太での生活すべてを失い引き揚げざるをえませんでした。引揚者の心の故郷として、樺太のことを忘れないために慰霊碑設置がすすめられ、本郷は依頼を受け樺太慰霊碑「氷雪の門」を制作しました。

本郷は、稚内から樺太に渡り、そして無念さを抱きながら稚内に戻ってきた人々の思いを作品に託しました。中央には両手を前に天を仰ぐ女性像を置き、両脇に門を立てました。像の背景には、海原が広がりその先にはかつて人々が生活をしていた樺太が見えます。門の向こうに見える樺太の島影が、故郷を失った人々の望郷の思いを募らせます。無理やり故郷を奪われ、帰りたくても帰れない、行き場のない万感の思いを表現した印象的なポーズです。この女性の造形は、1939年の新制作派協会第4回展(彫刻部第1回)に出品された《氷雪(ホロカメトック遭難記念碑)》とよく似通っています。本郷は、異なるテーマの作品に類似した造形を転用することがありますが、本作もその一例と言えます。

本郷は、《氷雪の門》について「すべてを失った人々の天への祈りであり、哀訴でもある。そして、逞しい再生への誓いである」と語っています。過去への愛惜と、これからの未来への明るい希望が込められた作品です。像と台座、門の三つが一体となって環境に調和しています。

「氷雪の門」の隣の「乙女の碑」は、1945年8月15日終戦を迎えたにもかかわらず参戦したソ連軍の攻撃を受けた真岡郵便局交換手9人の乙女が、最後まで交換手として職場を守り、自決した乙女の死を悼み、戦争の悲劇を後世に伝えるために作られました。

ふたつの慰霊碑が除幕された8月20日は、乙女が亡くなった日でした。本郷は「乙女の碑」に交換手姿の乙女の肖像レリーフを埋め込みました。そして、レリーフの横に「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」と最後の言葉が刻まれています。