津田青楓像

この作品は、1974年の第38回新制作展に出品した頭像5点の中のひとつです。モデルとなった津田青楓が95歳のときに制作した頭像です。

津田青楓(1880-1978)は、京都生まれ。本名亀治郎。はじめ谷口香に日本画を学び、のちに関西美術院に入り鹿子木孟郎・浅井忠に洋画の指導を受けました。1907年農商務省海外練習生として安井曽太郎とともにパリに留学、アカデミー・ジュリアンに入学してJ・P・ローランスに学び3年後に帰国。1914(大正3)年二科会創立に参加し会員となりましたが1933(昭和8)年同会を退き、個展によって作品を発表しました。この頃から日本画に転向し、独特の水墨画を描きました。また、夏目漱石との親交を通じて良寛を知り、その書・和歌を研究、自らも良寛風の書・和歌を詠みました。

津田の作品を収蔵する青楓美術館が山梨県笛吹市にあり、展示室には、この頭像が展示されています。

この作品について美術評論家の匠秀夫氏との対談で、「津田青楓さんの顔、あれは1時間半」で完成したと語っています。さらに本郷は、「もう2時間やるとずいぶん違う。津田青楓さんなんかだと95歳ですからね。モデルになって、30分もじっとしていないですよ。とうとう向こうで絵を描きだして、作者の僕の顔を描いているんだ。その顔を僕が見ながら作る。1時間半で終わり、疲れるから。それでちゃんとできるわけですよ。そうゆう何か調子があるんですね。長くやってもダメになることがある。よくある。そしてそのダメさがよくわかってぶち壊しちゃうんですね。僕はだいたいあんまり突っ込むとダメなほうです。勢いに乗じて、グイグイいったほうがいいんです。」とも語っています。

晩年の本郷の作品はこの言葉のように、短時間で完成した作品が多く見受けられます。若い頃に時間をかけた抑制のきいた作品に対して、これらの作品は、生命感に溢れた勢いが感じられます。野外彫刻などの大作も、人の3分の1くらいのスピードでつくっているとも語っています。「自信と速度が作品の中で生きる」と本郷は指摘します。

当館には、制作中の作家同士の緊張感に満ちた1時間半を伝える制作の素描と、津田青楓がモデルをしながら描いた素描が収蔵されています。