本田明二像
この作品は、本郷の友人の彫刻家の頭像です。
本田明二(1919~1989年)は、北海道月形町生まれ。札幌二中(現札幌西高校)を卒業後、上京して木彫家澤田政廣に師事しました。1944年に召集を受け、戦後はシベリアに抑留されました。1948年に復員後は札幌にアトリエを持ち制作活動を行いました。1952年に本郷が所属する新制作協会に出品し、初入選します。1952年から全北海道美術協会事務局長を務め、彫刻家として着実に歩んでいきました。本田は、本郷と同じように野外彫刻も手がけています。札幌市真駒内五輪小橋の《栄光》(1971年)、旭川市総合体育館前の《スタルヒンよ永遠に》(1979年)などを制作設置しています。
本郷とは、旭川市常磐公園に設置された《風雪の群像》(1970年)を共同制作して以来、深い親交を持ちました。本郷が野外彫刻を制作する時には、東京の本郷のアトリエに出向き、泊り込みで心棒制作などを手伝っています。また、本郷と同じ釣りを趣味としたため、北海道に来たときは一緒に釣りを楽しみました。本郷にとって公私共に大切な友人だったといえます。
この作品は、1974年第38回新制作展に《牧野富太郎像》《津田青楓像》《菅原安男像》《柳田国男像》とともに出品されました。指跡が分かるほど荒い肉付けが、作品に勢いを与えています。本郷は、ある対談において2時間半で完成したと語っています。
作品の完成をどこで見極めるのか。この頃の本郷の作品は、若い頃のように表面を丹念に処理するのではなく、より簡潔に表現しています。短時間で完成を見極める本郷の潔さと卓越した技術が感じられます。