オホーツクの塔像

網走のシンボル《オホーツクの塔》の建設委員会が組織されたのは1977年でした。網走新聞社内に置かれた事務局は、本郷新に制作を依頼し、設置費用は有志による募金活動で賄われました。

70年代の本郷は、鹿児島の国体シンボル像《太陽の讃歌》、釧路の《石川啄木》、大阪の《緑の賛歌》、釧路の幣舞橋の《道東の四季―冬》など、時代の要請に伴い野外彫刻の大作を次々と制作していました。

《オホーツクの塔》の設置場所には、知床連山が見える景勝地、能取岬が選ばれました。除幕式は、1978年8月に、本郷も出席して行われました。

記念碑は冬になると一面流氷に覆われるオホーツク海を背景に建てられています。高さ10メートルのコンクリート製による二本の柱と、3メートルの漁民の像との構成になっています。稚内の《氷雪の門》を彷彿とさせるかたちです。肩に網をかけた漁民の姿は、この地方の漁民に直接訪ねて調べたうえで制作されたものです。仰ぎ見るような高さ2メートルの台座の上に置かれた漁民の像の上部の柱には鮭が配されています。

碑文には、

 百余年の苦難をこえて培われたオホーツク沿岸漁業は、海洋法の制定など国際情勢の変化に伴って、新しい時代を迎えるに至った。
 ここに開拓先人の業績を讃えると共に、その霊を慰め、水産日本の発展を希求し、この塔を建立する。
 昭和53年8月13日
 オホーツクの塔建設委員会

と書かれています。

鮭と漁民の像のエスキースは、それぞれ《大漁》と《オホーツク海》のタイトルで網走市立美術館前庭に置かれています。