遙かなる母子像

本作は1979年に制作され、10月に開催された第10回六彫展に出品された作品です。翌年の2月13日に亡くなった本郷にとって最後の完成した作品になります。

六彫展は、読売新聞社・現代彫刻センター主催で1970(昭和45)年から10年間、新制作協会会員(あるいはかつての会員)6人が毎年新作3点を発表した展覧会です。出品作家は、具象彫刻の作家で本郷にとって親しい友人でもある菊池一雄、佐藤忠良、高田博厚、舟越保武、柳原義達です。会場は東京の現代彫刻センターでしたが、10回記念展では規模を大きくして東京高島屋で開催されました。本郷は、テラコッタや「無辜の民」シリーズの作品など60年代、70年代の代表的な彫刻15点、素描5点を出品しています。

《遙かなる母子像》は、六彫展に出品するために制作されました。本郷にとって母子像は、生涯を通して追求したテーマです。1936年の《母子像》が最も古く、その後代表作のひとつ《嵐の中の母子像》(1953年)など現在確認できるだけで18点を生涯にわたり制作しています。

本作は、本郷最後の母子像にです。作品は上に伸びる垂直のかたちを持ち、母子の一体感が強調されています。母にしがみつき見上げる子を包み込んだ大きな母の手が印象的な作品です。

本作は一度、チーク材で母の首のない形の「顔のない母子像」(1978年)として第42回新制作展に出品しています。本郷は「顔のない母子像」にクルミで母の顔の部分を加え、作品を更に発展させタイトルも象徴的な「遙かなる母子像」に変えました。「顔のない母子像」では人体を単純化させていますが、新たに加えられた顔は目鼻を完全に省略しています。これは、鑑賞者が抱く母のイメージを作品に投影しやすくするための本郷なりの工夫でした。

作品について本郷は、「母子像に打ちこむ」と題して文章を書いています。