「石狩」

本郷新は、1975年9月に東京高島屋で、11月には札幌のデパート、丸井今井で「本郷新彫刻50年展」を開催しています。個展には、彫刻103点、裸婦デッサン10点、野外彫刻の写真パネル14点が出品されました。工芸学校を卒業して50年。彫刻家として集大成ともいえる回顧展でした。

彫刻家としての大きな節目を迎えた本郷の次の目標は、石狩川河口に建てる記念碑の設置でした。記念碑は、高さ20メートル、幅6メートルの垂直に延びた巨大な塔をイメージしていました。中心にはしごを組合わせ、内部に喜怒哀楽など人間のすべての感情を表現した老若男女を配しました。本郷はこの記念碑を今日の北海道発展の礎となった開拓者の塔、人生の塔としたいと考えていたようですました。野外彫刻の集大成ともいえるこの記念碑の設置場所には、石狩浜を想定し、タイトルも《石狩》としていました。本郷は、海を隔てて暑寒別岳を一望できる小樽の春香山にアトリエを建てるほど、石狩浜に強い思い入れがありました。 記念碑《石狩》は、大規模な回顧展を終え節目を迎えた70歳の本郷にとって、新たなスタートになるはずでした。作品制作にあたり、これまで体力に自信があった本郷は、設置者の交渉などにも充分時間をかけ実現するつもりでした。記念碑制作にじっくり取り組むために「神様に90歳まで生かしてほしい」と新聞のインタビューに構想と抱負を語っていましたが、本郷に残された時間は5年という短さでした。1979年の春に癌が発見され闘病を余儀なくされた本郷ができたのは、様々な下絵とエスキース制作だけでした。翌年、74歳で亡くなった本郷は記念碑を完成させることができませんでした。

素描でしか残せなかった記念碑《石狩》は、本郷の最期の夢をつたえています。