本郷新記念札幌彫刻美術館
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第13回本郷新賞受賞記念対談

日時 2007年8月24日(金) 15:00〜16:15
会場 本郷新記念 札幌彫刻美術館本館研修室
ゲスト 第13回本郷新賞選考委員・酒井忠康氏、第13回本郷新賞受賞者・前田哲明氏

司会:第13回本郷新賞受賞を記念して選考委員・酒井忠康氏と受賞者・前田哲明氏の対談を始めます。
対談の前に、受賞者・前田哲明氏についてご紹介します。1961年東京生まれ、45歳。東京藝術大学を卒業、同大修士課程、博士課程を修了。’97年文化庁の芸術家在外研修制度により研修員として1年間ロンドンに在住しています。作家活動としては団体に所属せず、’86年から画廊での個展を主な発表の場としています。ロンドンから帰国後、’01年宇部市主催の第19回現代日本彫刻展で大賞受賞、翌年長野市野外彫刻賞受賞、そして’05年栃木駅北口駅前広場のモニュメントの指名コンペティションに選ばれ《煌樹》を制作設置しました。そして、《煌樹》が第13回本郷新賞を受賞しました。
主に鉄を中心とした作品を制作しています。一般的に硬く冷たいイメージがある鉄ですが、ぬくもりのあるやわらかい鉄をイメージして大きな迫力のある作品を制作しています。
それでは、受賞作のこと、制作のことなどご紹介いただければと思います。よろしくお願いします。

酒井:それでは改めてお話します。これまで私は、澄川喜一さんが受賞された第11回本郷新賞贈呈式に出席し、澄川先生とお話したことがあります。ただ、作家にお話していただくのは大変難しいものです。「この作品はどのように作りましたか」などと聞くほど野暮なことはありません。作家の創作活動は、子どもの「しりとり遊び」のようのものです。「しりとり」は、最後に「ん」がついた言葉を云ったほうが負けになります。作家は、「しりとり」のように「ん」がついて終わりにならないように制作を続けているのだと思います。前田さんも、やはりその傾向を感じます。
今回の対談は、事前の打ち合わせが全くありません。面接のようなものですね。ただ、このような形は私にとって大変有利で平等ではありません。作家にとって、なかなか答えづらい事もありましょうが、先ず彫刻に興味を持ったところから始めましょう。芸大に進学したのですから、彫刻に興味があったのでしょうね。それとも、絵画科に落ちたから彫刻科に進んだのですか。

前田:近いかもしれません。最初にモチーフを平面の置き換えることに興味がありました。彫刻に進んだ動機は曖昧です。ですから、誰が好きということはありませんでした。

酒井:ストレートに入ったのですか。

前田:2年間予備校に通いました。

酒井:では、デッサンが相当うまくなったのでしょうね。芸大では、澄川さんに教わったのですか。

前田:はい。

酒井:何も教えてくれなかったでしょう。澄川先生とは、地方の審査会や会議でご一緒する機会が多いのです。ある酒の席で、澄川先生に「わたしは、神奈川県立近代美術館で定年になったらひとつだけ希望があります。それは東京藝術大学彫刻科教授です」とお話しました。聞いてはくださいましたが、教授会では話題にもならなかったようです。そして「美術史ではどうですか」といわれたのです。でも、美術史の先生は授業の準備が大変なので厭なのです。実技の先生は、楽ですよね。澄川先生に伺っても、授業で何も教えていないとおっしゃるのです。
それでは、私でもできるように思うのです。そのように、予備校に通ってやっと芸大に入っても、大学では何も教えてもらえず自己懐疑に陥ったのではないですか。

前田:大学に入って、すぐラグビー部に入れられました。

酒井:
体が大きくてがっしりしているからですね。

前田:
はい。4年間ラグビー部に入っていましたので、ラグビーの合間に制作していました。卒業制作は一応つくりましたが。そんな大学生活でした。

酒井:
でも、卒業後のことを誰かに相談したのでしょう。

前田:
卒業後、大学院に入りました。博士課程とあわせて5年間大学にいました。

酒井:
それでは30歳近くになったのですね。それで、学校を出てときわ画廊で個展していますよね。

前田:大学院時代の1990年にときわ画廊で個展をしています。

酒井:公募団体には出していないのですか。

前田:出していませんね。

酒井:
新制作や国展(国画会)には誘われませんでしたか。

前田:
はい。

酒井:
珍しいね。友達は入っているのではないですか。

前田:
何人かは入っていますがあまり入っていませんね。

酒井:
その頃から、団体展に入るのは警戒していたのでしょうかね。
このあいだ、岡本太郎のことを調べていたのです。今の若い人はご存じないでしょうが、岡本太郎は、二科に入っていました。岡本は二科会の看板スターでした。あの頃の団体展のあり方は、今ではとらえられないものがありました。
それでは、前田さんは個展を発表の場の基本に考えたのですね。

前田:
研究室の先輩が、団体に入らず個展を中心にしていましので。

酒井:
東京神田にあるときわ画廊は、1階でアップダウンがない広いスペースなので彫刻向きの画廊です。すぐそばに現代彫刻の作家があこがれた秋山画廊がありました。私が鎌倉の近代美術館に入った頃、新橋の第七画廊や村松画廊、そして終点が神田の秋山画廊でした。ときわ画廊がそのすぐそばでしたので、よく見に行きました。ときわ画廊には、大村さんというマダムがいました。

前田:ときわ画廊は、今お話しがあったように1階にあり、私の先輩が多く使っていました。インスタレーションや、彫刻を制作する作家に人気のある画廊でした。やっと借りられて一週間個展をしました。その時、大村さんが座っていました奥の事務所に遠藤利克さん、戸谷成雄さんなど上の世代の人が夜な夜な来られていました。しかし、その中にはなかなか入れませんでしたね。

酒井:
遠藤利克、戸谷成雄は、その当時から国際的に注目されていた作家です。個展をしていると彼らが来て、お酒を飲んで批評されるのですね。

前田:
そんな時、大村さんが「そんなことないわよ」といって擁護してくれるのかと思ったら、「そうね」と云われてしまいました。その意味では、鍛えられましたね。道場のようなところでした。

酒井:
今の若者でしたら、庇(かば)ってあげないとだめになってしまうね。でも、庇ってだめになるような若者はだめだね。庇わなければならないものは、もともとだめなんだよ。だから、そのような経験はよかったね。
僕は、その頃のときわ画廊には行っていないね。よく行っていたのは1960年代半ばから70年代半ばです。
それにしても、ときわ画廊でずいぶん個展をしていますね。10回位していますね。そして、イギリスに1年間留学しています。留学は、以前から考えていたことだったのですか。

前田:
そうですね。一度行ってみたいと思っていました。

酒井:
イギリスでの体験をお話していただけますか。

前田:
最初は、ニューヨークに行きたかったのですが、人気ナンバーワンなので文化庁の留学の申請を出してもなかなか行けませんでした。たまたま、フィリップ・キング氏と縁があったのでイギリスに行くことにしました。イギリスは、ヘンリー・ムーア、ヘップワースなどの彫刻の歴史がある中で、突然アンソニー・カロのような作家がいたり、世代ごとにスターが存在し連綿と繋がっている彫刻の文化があります。イギリスは、アメリカと違うところです。そのため、彫刻に対する理解があるように思いました。ロンドンに行ってみると、とても仕事がしやすいところでした。都会なのですが、時間がゆったり流れていました。

酒井:
イギリスの現代彫刻では、ヘンリー・ムーアがあげられると思います。しかし、その前史が日本ではあまり知られていません。鉄の彫刻はもともとスペインのゴンザレスからスタートしました。ピカソも鉄の彫刻を作っていますが、イギリスの戦後復興期の第2次産業革命で鉄鋼業が発展したのに呼応して、鉄の彫刻が世界的にも盛んになりました。ムーアの次の若い世代が戦争体験を踏まえて登場したチャドウィックやバトラーは鉄の彫刻家です。イタリア系のパオロッツィなどもいます。ロンドンに1950年代からとても活発なICAという現代美術の拠点があります。ICAは、アメリカ現代美術の代表ともいえるポップアートの先駆けでした。イギリスの発生したポップアートがアメリカに渡り世界現象にまでなったのです。イギリスの作家の考え方は、表面に立って報道される以前のものであるため一般にはわかりづらい面があります。
 前田さんの仕事を、イギリス留学を踏まえて考えたいと思います。直接、接したのはフィリップ・キングですか。キングは、優れた彫刻家で最近までローヤルアカデミーの会長職にありました。人格的にも優れた方で、私も何度かお会いしています。そのほかに、アンソニー・カロがいますね。大体、ムーアの弟子筋くらいの世代の方です。芸術の森にあるゴームリーもフィリップ・キングの教え子です。前田さんはゴームリーのおとうと弟子になりますね。

前田:
そういうことですね。私の場合、1年の留学では、一夜漬けの英語でしたので結構しんどいものがありました。そろそろ帰ろうかと思ったときに、ヨークシャー・スカルプチャー・パークの館長からいっしょにやってみないかとお誘いがありました。留学は、8月に終ってちょうど今くらいでした。留学期間は終ったのでとお話したら、帰るのならばこの話はないといわれました。ロンドン、ヨークシャーであるならばスケッチなど頻繁に連絡が取れるので、こちらで制作するのが条件だといわれました。それで、一旦帰国しましたが展覧会のためにもう一度イギリスに戻りました。

酒井:
ヨーロッパの人は、そんなところがありますね。そこにいないと相手にしないのです。彼らが日本に来たときは、それなりに対応してくれますが、私がヨーロッパに行くと、相手にしてくれませんでしたね。今は違うかもしれませんが。

前田:
私は、あまり日本人と見られず、南米とかヒスパニックと思われたようです。

酒井:作品のスケールにもよりますよね。

前田:
作品は、私にとって自然体でそうなっただけです。

酒井:
本当の意味で、彫刻家ですね。それで、1999年のヨークシャーではどんな展覧会だったのですか。

前田:
イギリスで制作していたものを発表しました。インスタレーションだったのです。

酒井:
去年ヨークシャーに行った時、作品はなかったけど。どこかに置いてあるのですか。

前田:
1点あるはずです。

酒井:
倉庫にあるのかもしれませんね。
ヨークシャー・スカルプチャー・パークは、ヨーロッパでは一番大きい彫刻公園だと思います。公園の中を車で回ったほうが早いような広さです。野性味を帯びた彫刻公園です。あまり人の手が入っていないのです。それがいいんです。そんな自然公園に置かれた作品がよくないのならば、作品がダメなのです。札幌芸術の森を作るときも、いろいろな人がいて、いろいろ意見をいうので、ヨークシャーのようにはなりませんでした。パブリックな仕事は、九割九分が妥協です。ヨークシャーのピーター・マリーだったら今の芸術の森のような形にならなかったと思いますね。

前田:ヨークシャー・スカルプチャー公園は北海道の風景にダブりますね。

酒井:ピーター・マリーは今も館長をしています。
最初にピーター・マリーに会ったのは1983年です。滋賀県立近代美術館がオープンするときデビット・ナッシュ、ジャッド、リュックリームなどが集まって国際的なシンポジウムが開催され、その頃30代であったピーター・マリー館長はヨークシャー彫刻公園についてスライドを持ってきて事例を報告しました。その時の内容は、自然が大きなテーマでした。木彫の展覧会の事を報告しました。イギリスは雨が多く、地面に接したところが腐ったそうです。それで、作品の保護のためにコールタールを塗ったら、周辺のリスがいっせいにコールタールを塗った作品をかじり始めたそうです。自然との付き合い方を、この報告で教わりました。そして、今も館長をしているのです。30年近く館長が変わらないので、彫刻公園のあり方が一貫しているのです。

前田:すばらしいですね。

酒井:もうひとつすばらしい話ですが、入口近くに鉄板の板を敷き詰め、寄贈者の名前を打ってあります。雑草が生えっぱなしで、その上を歩いていいような簡単な鉄板です。お金をかけてきれいな名板にする必要はないのです。芸術の森も、1万でも、2万でも寄贈者を募って真似たらいいですよ。
日本では、ここまで文化が発達して、ある意味で飼いならされてしまい、盆栽的になっているように思います。デリカシーのある国ですから、いまさら野性味を出せといわれても困るのかもしれません。
子どもの頃は、どうでしたか。ラグビーと彫刻は何か結びつきましたか。
前田:からだを使うとかですかね。ラグビーは、チームプレイと個人プレーがあります。みんな個人プレーをしたがるチームでした。

酒井:これは難しいことですね。これからのアートは、個人プレーではダメだと思います。個人プレーでは、限界があります。私がそれを学んだのは、三宅一生の仕事ですね。個人としても、すごい才能を持っていますが、もっとすごいのはいいアーティストと仕事をしていることですね。前田さんもこれからは、誰かと組んで仕事をしなければなりませんね。たとえば、ダンサーとか…。イサム・ノグチもマーサ・グレアムと劇場的な空間を演出しています。ダリもそうです。マルタ・パンは、振付師のモーリス・ベジャールと組んで仕事をしています。これからは、コラボレーションを考えていくべきですね。

前田:実現するか分かりませんが、今回の展覧会で愛宕山の高垣さんが札幌交響楽団のティンパニー奏者とのコラボレーションを札幌で考えてくれています。作品を楽器のように叩く彫刻と音楽のコラボレーションです。そんな、アイディアがあります。

酒井:それは面白そうですね。そのように、これからは色々と考えていかなければならないと思います。そのような工夫が、美術館側も足りないのかもしれませんね。美術館の器としての使い方が、以前と違ってきています。ここの美術館の展示はいかがでしたか。

前田:空間を生かしながら展示しました。
酒井:ひとつの考え方ですが、空間をどのように使うか。ここの美術館は、少し窮屈な空間だと思いますが、前田さんは限られた空間を生かしながら展示をされたようですね。建築家の隈研吾は、「限界がなければ表現はできない」と言っています。限界と言うのも案外いいものです。以前、前田さんが発行した図録のテキストでリチャード・コークが「軽さに向かって」とありますが、軽さの問題と言うのは、これはどんな意味でしょうか。

前田:
これは、私のヨークシャーの仕事を見て書いてくれたものです。

酒井:
「明るい」「暗い」・「重たい」「軽い」などは相対的な問題です。作家は、表現を展開するとき、いろいろ考えるものです。今回、庭園に展示した、大きな作品を制作しているなかで軽さの世界を論じているわけですよね。

前田:
これまで鉄の素材を使った作品を作っていましたが、このときガラスやアクリルなど透明な素材を使ったのです。違うボリュームの表現をしました。

酒井:
異質な素材との関係はどうなのでしょうか。

前田:
ヨークシャーでは、これまで作っていたのと同じ形をステンレスメッシュを使って制作しました。そして、メッシュ同士が重なり合って生じる面白い現象を発見しました。これまで鉄で表現したいたものを、透明の素材であるアクリルやガラスに置き換えて、ボリュームをとって軽さを表現しました。
酒井:前田さんが帰国後、鮮烈なデビューをしたのは宇部の「現代日本彫刻展」ですよね。これは、大賞を受賞していますよね。私も、このとき審査員でした。異質な物体の組合せが、旧来の人達とは違っていたのでとても印象的でした。審査のときに、田中幸人さんが絶賛しました。受賞作は、大変評判になりました。それ以後、前田さんの仕事には注目していました。今回、展示した作品で、「KAJIMA彫刻コンクール」で最後まで残った作品がありますね。このときの審査員は、半分が建築家でした。彫刻家のとらえ方と、建築家のとらえ方は違いました。最終責任は、建築家がとるので彼らの意見を重視します。公共の場に設置する作品は、やはり安全性が重視されます。前田さんの作品に対して、建築家は視覚的危険度を感じたようです。
受賞作の栃木市の作品は事前に設置する場所を見たのですか。

前田:
最初に行ったときは、難しくて構想までは行きませんでした。作品を設置する交通島が既にできていましたから。もっぱらギャラリーでの作品発表でしたので、パブリックアートの仕事はしていません。何度か足を運ぶうちに、栃木市の古い町並みが印象的でした。また、駅前は島がふたつあり、全部使うのかなどいろいろ考えました。

酒井:
前田さんは、コンピュータを使ってシュミレーションをするのですか。

前田:
コンピュータはあまり好きではありません。ただ、建築家の方と打ち合わせをするのには言葉より伝わりやすいのでコンピュータをつかいます。

酒井:
アートとデザインとで、少しニュアンスが違いますね。

前田:
パブリックアートは、妥協しなければいけないことが多かったですね。

酒井:
古い彫刻家からつながるところがあり、私は、栃木の仕事は個人的に好きですね。安心感がありますね。どんな作家でも、何もかも自前で作品をつくることはよっぽどの天才でない限りありえません。必ず先行者がいて影響されます。やはり、フィリップ・キングやカロの影響はあるのでしょう。

前田:
すばらしい彫刻家だとは思いますが、直接影響は受けていません。若林奮さんとか、村岡三郎さんから制作の姿勢などを学びました。

酒井:
村岡三郎という彫刻家は、鉄とか塩を使って制作する人です。国際芸術センター青森には村岡三郎が制作した大変シンボリックな作品が、センターの入り口にあります。鉄の大きな作品で中に塩が入っています。実はこの作品は、設置後、中の塩が膨張して結果的に作品の一部が壊れてしまいました。
前田さんは、計算違いで作品が壊れたことありますか。

前田:
計算は苦手ですけど、今のところありません。

酒井:
作品を制作するとき、部分的に発注するとか工場でいっしょに作ることはありますか。

前田:
なるべく自分でやるようにしています。栃木の作品のようにスケールの大きな作品は、パーツとして発注し最終的に組むのは自分でします。鋳物の作品のように業者に渡してしまう形態があまり好きではありません。最後まで触っていたいと思います。

酒井:
今考えている制作の構想ありますか。

前田:アースワークをしたいと思います。

酒井:
北海道ではそんな依頼がありませんか。

前田:
それと、室内と照らし合わせたような仕事がしたいです。

酒井:
そのような作品発表は、あまりないよね。90年代くらいまではありましたが、最近はあまりないですね。美術の世界は、最近全体的に元気がないですね。

前田:
あとは地道にギャラリーで発表していこうと思います。

酒井:
最近ギャラリーがどんどん閉じていますね。そのため、発表の場がなくなってきています。
それでは、何かご質問はありませんか。

会場:
広い展示室にある作品について、どのような意図で制作しているのか伺いたいのですが。

前田:
以前発表したときは、古い瓦を糸でつるして周りに配しました。今回は、下から突き上げてくるようなエネルギーを感じさせてみたいと思い、割り石を周りに置きました。石を置くとどうかと思いを捨て去れず、今回の展示になりました。北海道での展覧会なので、大地の力を感じさせたいと思いました。同じような形で発表するのではなく、違うバージョンにしたいと思いました。音楽のジャズのように、時によってテンポを変えるように作品の形態も変えたいと思いました。

酒井:
即興のように、場所によって変えることもありますね。
それでは、これで終わりにしましょうか。
現代彫刻について、楽しくお話を伺うのもなかなか難しい部分が結構あります。もともと彫刻は、高村光太郎ではないですが愛想のないものです。ご容赦いただきたいと思います。

司会:今回は、前田先生のお話ばかりではなく世界の著名な彫刻家のお話や、彫刻を取り巻く問題等と貴重なお話を伺うことができ大変参考になりました。ありがとうございました。本日は、お忙しい中お集まり頂きありがとうございました。

第13回本郷新賞要項
第13回本郷新賞受賞作について